ノスタルジア

ああ、ひさしぶりだね。
え？
いや、そっちが言ったんじゃないか。ひさしぶりって。
首を傾げられても。
なんとなく、ひさしぶりって言葉が出てきた？ふうん。そうか。
何してるのかって？
うーん。
なんとなくね、懐かしい気持ちになって、たまらなくなって。
それがおさまるまでちょっと休もうかなあって。
郷愁っていうのかな。そういうの、感じたことない？
小さい頃に、五時になったら「家路」の音楽が鳴って、それでああ、もう帰らないとなあって思う。
今も小さいって？いいから聞いてよ。
周りが薄暗くなってきて、西日が眩しくなって、ひとりひとり友達が手を振って家に帰っていく。近所の家から香ってくるカレーの匂い。あのお家は今日アジなのかな。
もう少し遊んでいたいけれど、帰らないといけないなあ。
今でもあの音楽を聞いたり、家からもれる夕飯のにおいをかいだり、駆けていく子どもたちを見ると、感じるんだ。
特に、今のように真っ赤に燃える夕日を見たときに。
帰りたいなあって思うんだ。
そういう気持ち。
うん。さっきひさしぶりって言った君の気持ちと似てるかもしれない。
たまになるんだ。帰りたいなあって思って、胸がきゅーっとなって、たまらなくなる。
君にはないかい、帰りたいところ。
うん、うん。
そうか。
お父さんがいた頃の、三人で暮らしていたおうちか。
郷愁って、きっと失ったものに対して感じてしまうんだね。
もう二度と取り戻せないもの。
なくたって生きていけるのに、もう戻ってこないから愛しい。
子どもの頃のことばかり思い出すのは、きっともう帰れないから。君も、そうなんだね。
もう帰れない。
僕は――僕たちは、どこにでも行けるけれど、どこにも帰れないから。
よくわからないって？
うん、ひとりごとみたいなものさ。
君は今、幸せかい。
……そうか。よかった。
お父さんは？へえ、新しいお父さんの家族にも会ったんだ。妹はかわいい？
そうか、お姉さんができて喜んでくれたんだ。よかったね。
君がお姉さんなんて、ちょっとイメージじゃないけど。
いたっ！
ひどい。児童虐待だよ。
デコピンくらいで？いいや、君のデコピンは痛いんだよ。何発もくらった僕が言うんだから間違いない。
今は一回だけだって？ああ、そうだね。今はね。
お母さんは、元気？
そうか。よかった。
失ったものはよく見えるけれど、今あるものを大切にしたほうがいい。
お父さん、お母さん、それからお友達。
友達は……元気？
誰のことって、その……君の、特別大切な友達さ。
ああ、いいんだ。やっぱり何でもないよ。
ところで君は、どうしてここに？
――別に理由なんかない。偶然。そうか。
偶然かあ。
最初は帽子様の指示とは言え……偶然が過ぎるよ。いつの間にか妹と友達になっていたり、隣の部屋に泊まっていたり。
赤い糸なんてものがあるなら、僕たちのそれは相当強くひき合っているんだろうね。
それとも、君が引き寄せているんだろうか。
ここで会ったのだって相当イレギュラーだよ。
思い出すわけがないんだけれど、なんていうか君は摂理や法則を超えてしまうところがあるから油断はできない。運命だって変えようとしたし。
本当に君ときたら、僕の予想の遥か斜め上を行くんだから。
いいや、こっちの話さ。
言っただろ。ひとりごとだって。
え？
うーん。
僕は君の何なのか？
……懐かしいな。あのときは答えられなかった。
そうだな。
僕は、君の、郷愁さ。ノスタルジアだよ。
普段は忘れているけれど、ふとしたときに君の胸を苦しくさせるかもしれない。
でも、それはたまにさ。
おいしいごはんを食べて、どこかにでかけて、友達と楽しくおしゃべりして、誰かと笑い合って。
そうしていればきっと思い出すこともない。
それでいいんだ。
なくしてしまったから愛しいけれど、なくたって生きていけるのだから。
――ああ、日が沈むね。
さあ、そろそろ行かなくちゃ。兄貴が待ちくたびれちゃう。
僕は行くよ。
君には、帰るところがあるだろう？
気をつけて帰ってね。
会えてうれしかったよ。
でも、できるなら、ずっと忘れていて。
じゃあね。