結婚するときに苗字でもめる晶苹。
「なんで？なんでだめなの？晶馬くんのわからず屋！」
「いいや、これだけは譲れない！頭がかたいのは君のほうだろう」
激しく言い争う晶馬と苹果に、台所で洗い物をしていた冠葉と陽毬が何事かと振り返り、思わず顔を見合わせる。
先程までいつも通り、穏やかに会話をしていたと思えば、何があったのだろうか。
だが、冠葉や陽毬が口を出す前に、苹果がちゃぶ台に手をつけて立ちあがった。
「もういい。帰る」
「ああ、そうだね。僕が送っていったらまた口論になるから……冠葉。荻野目さんを送っていってくれる？」
晶馬はそう言うと、冠葉の返事を待たず、彼の上着を差し出した。
にっこりと満面の笑顔で冠葉を見る晶馬に、冠葉は眉をつり上げながらも上着を受け取った。
こうなると、晶馬が梃子でも動かないことを冠葉はよく知っている。
「……わかった。陽毬、残り頼む」
「うん。苹果ちゃん、気をつけてね」
苹果は陽毬の言葉に笑顔で手を振った後、晶馬に向けて思い切り舌を出した。
晶馬のこめかみがぴくりとひきつったのが見えた。
「で、何があった？」
しばらく無言で歩いたあと、冠葉はもういいだろうと徐に口を開いた。
ぽつりぽつりと灯った街灯が照らす道に、二人の影だけが動いている。
苹果はむっつりと口を尖らせた横顔を見せるだけだ。
冠葉はわざと声を大きくする。
「堅物な晶馬がやっとプロポーズして即効オッケーして、あとは入籍だけ。今が一番いちゃついてるはずの時期に、何を喧嘩するんだよ」
「……冠葉くん、人のことに口出ししないタイプだと思ってたんだけど」
苹果の答えになっていない答えに、冠葉は目を細めた。
「しないよ。でも、晶馬と荻野目さんが喧嘩すると、陽毬が心配する」
「ああ……陽毬ちゃんのためね」
納得した、と言った苹果は大きくため息をついた。どうやら話をする気になったらしい。
「晶馬くんがだめだって言うの」
「……何を？」
「高倉苹果になるのを」
少し考えて意味を呑みこんだ冠葉は、ああ、と声を上げた。
「結婚しても、苗字は高倉にせず、荻野目のままにしておけっていうのか？」
「そう。高倉を恨んでいる人もいるから、だって」
晶馬の考えそうなことだ。
冠葉は夜空を見上げた。都会の明りで星のひとつも見えやしない。
「私、別にどっちでもいい。でも、ちょっと、高倉苹果がいいなって思う。そっちのほうが冠葉くんとも、陽毬ちゃんとも家族になれる気がして。だから、さっき、晶馬くんに言ったの。結婚したら高倉苹果か、けっこうしっくりくるでしょって。そうしたら晶馬くん、目、見開いて。慌てふためいて、絶対だめだって……」
苹果がしゃくりあげる気配がした。
冠葉は顔を苹果に向けると呟いた。
「なれる気がする、じゃないだろ」
「……え？」
「なるんだよ。家族に。な、晶馬」
冠葉が苹果の肩の向こうを見て言った。驚き振り返った苹果の目に、息を切らした晶馬が映った。
「晶、馬くん」
「あとは大丈夫だよな。俺、先に家に帰るぞ」
晶馬がまだ息が整わないのか、ただ頷いた。
冠葉の影が見えなくなると、ようやく晶馬が顔をあげた。
「陽毬に……っ、怒られた。苹果ちゃんだけ仲間外れにする気かって」
他にも、高倉さんってお宅が何軒あると思ってるのとか、全国の高倉さんに謝りなさいとか、めちゃくちゃだよ。
晶馬が唇を釣り上げて言う。だが、目が真剣なままで、苹果は何も言えなかった。
「最後には、泣かれちゃったよ」
「陽毬ちゃんが？」
「高倉って苗字は、私たち三人が一緒に暮らしてきた証拠なのに、それでもまだ許せないのって……」
苹果がはっとして晶馬を見つめる。
晶馬がようやく呼吸を整えて、苹果の近くまで歩み寄った。
「もう一回、プロポーズさせて」
晶馬が苹果の手をとった。二人の影が一つになる。
「高倉苹果になってほしい。君がその名前になってくれたら……僕は、いつか、高倉って苗字を許せるかもしれない」
「……もちろんよ！」
苹果は晶馬の首に腕をまわして勢いよく抱きついた。
「そういえば、陽毬ちゃん泣かせたのまずいんじゃない？冠葉くんに怒られるよ？」
「……あ」
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